恋を語る歌人になれなくて

2016,5月 LINEで送信したメッセージを「それは短歌だよ」と教えてもらったことをきっかけに、短歌な世界に引き込まれて行く。おそーるおそーるな一歩一歩の記録。

結社を決めた(後編)

選者が毎月決まっている結社とそうじゃない結社についても考えてみた。

わたしの理想の師弟関係は『マリア様がみてる』のスール制度に近くて、先輩であるお姉さまが後輩である妹を姉妹のように教え導き、そののち妹が先輩になった時、後輩を妹として導く、それが脈々とつづいていくような関係なので(わたしは紅薔薇姉妹推し!!)、いつも決まったお姉さま...じゃなくて選者がいいかなと思いました。そばで成長を見守ってほしい!!という願望もありますし。


たぶん、夏から、わたしのお姉さま...じゃなくて弟子入りしたい先生は決まっていたのだけれど、それ以外のすべての可能性を廃して迷いなく入門したくて、この一ヶ月ほど悩んでいた気がします。

何より一番の決め手になったのは、実際に憧れてた先生にお会いした時の「感じ」、あいまいにしか表せないけど「確信」だったと思います。


これからは、未來夏韻集でお世話になります。大辻隆弘先生のもとで、思いきってタンカツします。

まだ入会申し込み用紙を取り寄せているところなので申し込みはできてませんが、自分の居場所を見つけてわくわくしています。

結社を決めた(前編)

本当のところ、短歌を始めた瞬間から、わたしが入る結社も弟子入りする歌人の先生も、決まっていたのではないか、と思う。

夏頃には歌集を読んで、おなじ高校出身の歌人と知って勝手に「運命かも...!!!」と高まっていたのだけれど、秋の手術入院で歌会に参加できずタイミングを逸してしまった。


好きな歌人がいる結社、ということで決めようとするとあっちにもこっちにも好きな歌人はいるし、気になる結社の見本誌を取り寄せて年末年始じっくり見比べてみた。

好きな歌人が1人いる結社でも見本誌に載ってる歌の感じが全体的に好きじゃない(個人の見解です...)と気持ちは遠退く。逆に、各支部の活動報告ページに、三重県でも歌会が毎月開催されてると「おっ」と気になる。

(つづく...)

人生初歌会!!!

朝6時起床で名古屋栄は加藤治郎先生の短歌のドア講座でした。
お題は「お正月」でした。詠む人によっていろんなお正月があって、さすが~という感じです。

お隣のケンゾーさんの吹く笛でちょっと酔ってる獅子舞が来る/森緑

(でもね、来年からは来ないんだって、、、)


そしてそして。。。取って返して津にて、大辻隆弘先生の伊勢歌話会 in アスト津に遅刻しながら参加、あぁ、短歌はじめて半年にしてとうとう初歌会!!!

ちょっとここでは書ききれないくらいの密度、充実度です~~。喜。

今回は、急ごしらえで10首、自分で判断できなくてご意見をうかがいたいものばかり集めて持って行きました。

歌会って凄いなあ。独りでは読みがわからないと「困る」に帰着しがちなんですけど、あーんな角度やら的確な文法からこーんなに深く掘り下げて、、、自分の想像力と語彙力が追い付いてないから、もっともっともっとがんばっていこう!と思えました。

そして!
無所属新人から三重県歌人クラブに入会しました!
なんだか新年早々、色んなことが動き出して、少しずつ叶っていくのかな、と明るい気分です。

では、結社について考えたことは、次回。(^_^)


【今日のうた】

その内に蓬髪の魔女すまはせて自動販売機は灯りをり

 大辻隆弘『汀暮抄』

はじめての歌会前夜...!!

退院後から機能低下してる短歌脳をしゃっきりさせるべく、明日は退院後はじめての短歌講座、そして急遽、参加申し込みをした大辻隆弘さんの伊勢歌話会 in 津にて歌会デビューです。

ひゃあ。
こんなに一日に短歌漬けになるのは初めてだし、まだ退院後にちゃんと人と会ってないからちゃんと話したりできるのかなぁ...。

歌会詠草10首、前夜ギリギリまで準備しました。

なんだかピントがボケてるような、微妙なのばかりに思えて、いや、でも、これがわたしの短歌なんだと思ったりして。うわあー、最初が肝心なのにぃ、、、落ち着かないですぅ。。。
(*_*)


【今日のうた】

私ではない女の子がふいに来て同じ体の中に居座る

 鳥居『鳥居歌集 キリンの子』

獅子舞はもう来ない

元日は獅子舞の笛で目が覚めた。
こどもの頃は庭に出て獅子舞を見るのがたのしみだったな。頭をかんでもらったりね。

でも、後で聞いたら、今年がラスト獅子舞だそうです、後継者がいないそうで。

ああ。
当たり前と思ってた伝統は、こうやって突然消えていくんですね。


短歌は、ネットやなんかで若い人が盛んにやってるから安泰なのでしょうか?わたしは違和感があります。

大切なことを学んで引き継いで、次の世代へ断続的に受け渡してゆくことを置き去りにしてたら、いつか短歌も途絶えてしまうのでは、と元日から考えた。それは結社の担う役割なのでしょうか。だとしても結社の外側は別世界でいいのでしょうか。わたしには、わかりません。


【今日のうた】

花の色は移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに

 小野小町(百人一首9番)

2017年のこと(本気)

本屋勤めを辞め、近年まれにみるぐーたらな年末年始を過ごして、気づいたら2017年。

目標① 一月、歌会の見学(できれば参加)
② 二月までには、ここだと運命感じる結社に入る
③ 結社に軸足を置いてどんどん詠む
④ 人見知りをできる範囲で克服したい
⑤ わたしには母性とあたたかい家族のうたが詠めないし、共感ができないし拒絶したくなる。この問題に向き合う。

あっ。
今年最初の目標。
今年最初の短歌のドアで、加藤治郎先生にもう「森さん今日がはじめてですか」って初対面と思われないように、存在感の薄さを消す。


【今日のうた】

葉牡丹はわっさわっさとむらさきの笑い湧き出す真冬の泉

 小島なお『短歌1月号』新春74歌人大競詠

どこの結社がわたしにしっくりなのか?

起きたら『歌壇6月号』の古本が届いていた。角川『短歌年鑑』の中のどこかでこの号に結社の特集が載っていたことを知り、急いで取り寄せた。

ここ数日、わたしの運命の結社はいずこに...と考え込んだり悩んだり。はい、もう、結社に入りたいというのは決心できたのですが、どこに?が決まらなくて。

『歌壇』の特集で米川千嘉子さんがおっしゃってるこの部分(32p)、「自分が縛られる、という点でいうなら、むしろさまざまな媒体や大会などの一回一回、一首一首だけの投稿勝負だけを自分の場にしていることの方が危険な場合もあるかも知れない。選者に挑むような作品ならもちろん素晴らしいが、大量の作品から選ばれ承認されるための言葉を磨くばかり、受けを狙った比喩のバリエーションを増やすばかりで、結局自分の大切な何にも踏み込んでいない、という空虚なことになってはいないか。自分の現実や自分を流れた時間、さらに自分の全体性とでもいうべきものに関われる歌、すなわちあくまでも自分ベースの歌を思い切った試行錯誤もしながら継続的に作ってゆける「場」として結社というものを大切に考えたい。」は、少し前から疑問に思っていたことの答えみたいで、結社に入りたい気持ちをさらに強く後押ししてくれました。

結社ごとの特色が紹介されたページは、そこもうちょっと具体的に...!!と思いましたが、気になる結社がいくつも登場していたので食い入るように読みました。

わたしが根を下ろして短歌活動、タンカツをがんばれる場所、まだ迷ってます。いきいきと活躍されてる短歌先輩をまわりでまたはネットで見ていると、わたしもそうなりたいって思います。もちろん、おなじ結社に入ったからおなじように活躍出来るわけじゃないですが。

あーあ、結社にもスカウトマンがいて、キミ、うちの結社に来ない?って声かけてくれたら運命感じてついてっちゃうかも知れないぐらい今悩んでますよー。


【今日のうた】

ペンパイナッポーアッポーペン」と唱へつつ五百羅漢のあたまを撫づる

 小池光『短歌1月号』新春74歌人大競詠から

雑誌に載ってみて思ったこと

『短歌研究1月号』詠草に載せてもらって、最初はうれしいよりびっくりしたのですが、よくよく考えてみると、色んな人の目にふれるということなのでちょっとこわくなってきました。

「あんな剥き出しの感情をブチまけたような短歌は美しくない」とおもう人もいるでしょう。誰よりわたしがそう思います。もっと良い言い様があったかも知れないし、今のような素の感情のまま切り出してきた詠い方ではだめなのかも知れない。

「こんな下手な短歌が選ばれるなんて!」と憤慨する人も凄くたくさんいるでしょう。それはちょっと怖い。わたし自身、短歌をはじめた時は短歌で競うことになるとは考えてなかったので戸惑っています。

でもわたしみたいな初心者のへんな短歌も漏らさずちゃんと読んでもらえてることはすごいことだなぁと思います。短歌の世界には詠草を送る人と選者の間の信頼関係がきちんと成り立ってるということなのかな、と思います。プロの超凄い歌人とはじめたての初心者が投稿でつながってるとか、作家とファンがとても近いのがマジですばらしいといつも感激してしまいます。


あと、よく考えず、子宮とか卵巣とか詠んだことで、作者の性別をわざわざ明らかにしてしまったんだなあ、、、と誌面に載ってから気付きました。
わりとどっちの性別にも取られがちな名前なのですが、短歌の「私性」の話ではないですけど、自分にひきつけて詠むとこういうこともあるんだなあ、と思いました。いや、考えが浅かっただけですね。はは。


雑誌に載ることは驚きとどきどきがあるし、中日新聞に載ると憧れの小島ゆかりさんに読んでもらえたーって喜びがあるのだけど、やっぱり今回ちょっと怖くなったので、大風呂敷ひろげないように自分にみあったペースで続けようと思いました。

そのためにも、何でもかんでも葉書や応募券が巻末についてるからとかいうだけで数打ちゃ当たる的に投稿しないで、誰に読んでほしいとか、ちゃんと考えていこうと思います。たとえば、読みたいと思ってくれる人に読んでもらえるネットプリントとかフリーペーパーとか、そういうの、いつかチャレンジしてみたいです。

そして棚上げにしてる(つもりだった)「どこの結社が自分にしっくりなのか問題(ババン!!!)」にも、年が明けたら向き合いたいと思っています。
(結社の特集をしていたという『歌壇6月号』の古本が年明けにしか届かないのです)


【今日のうた】

羽田発2時50分見下ろせばアイスクリームのような富士山

 俵万智『短歌1月号』

またまたビギナーズラック発動か!?短歌研究1月号詠草に5首

『短歌研究』の詠草に初チャレンジしたのは、入院するかもやもやしてた頃でした。はがきに5首書くのはバランスがむずかしいし、三角の応募シールもどこに貼ったらいいかもわからないし、わあー、ハードル高い!と思いながらおそるおそるポストにインしたのだけど、その5首が準特選で掲載されてました。

うわぉ!出た!毎度毎度のビギナーズラック!!!

これからは二回目以降もコンスタントにタンカツしていきたいです。タンカツ!タンカツ!
まだ短歌研究の点数システムもあんまりよく理解できてないけど、まずは続けてみます。


年老いた母の運転に身をあずけ病院まで聴くかすれたラジオ

病院の待合い室のチャンネルを韓流ドラマに勝手に変えるな

手術する決断を先に延ばしたく、おうどんのつゆしずしずと飲む

デフォルトで子宮を付けてくれずともわたしは困らず生きられたのに

卵巣も子宮もすっぽり投げ出してそこらの犬にくれてやりたい/森緑

『短歌研究1月号』短歌研究詠草 高野公彦選 準特選

丁寧な選後感想もありがとうございます。
よかったら立ち読みでもいいから読んでみてくださーい。

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職場詠?

今までわたしは、履歴書に書き切れないだけの転職をしてきました。自営業も自由業も正社員も非正規も激短ハード夜勤も夜のお仕事も(3日だけで辞めたけど)やってみました。なんか違うと思ったら辞めてしまうし、引き合いがあれば辞めてそっちに飛び込んでしまう。あ、ねずみ講に巻き込まれたことも案の定ありますよ。

まだよくわかってないけど、職場詠って、今のことしか詠まない決まりなんでしょうか?

過去の仕事のことを、決まった季節になると思い出すし、当時はことばであらわすことが出来なかった思いが今になって決壊したダムのようにうわあーっと押し寄せてくることもある。それを詠むのはただの回想なのか?

現在の職場詠を詠むことと同じ熱量で、あの頃のことを少しずつの連作(職業別とか?)にしてみたいと思ってる。
なかなか入れない職場で働いてたりしたことから、単純にあまり知られてない現場あるあるだけクローズアップされるのも意図するところと違う気がするし、ただの回想じゃないようにしたい。


【今日のうた】

コロッケがこんがり揚がる夕暮れの母に呼ばれるまでのうたた寝

 鳥居『キリンの子 鳥居歌集』

気になる結社に見本誌をお願いするの巻

① まずは結社のサイトを入念にチェックし、見本誌を送ってもらえるかどうか、その問い合わせ方法を調べます。

② 緊張しつつも丁寧かつ簡潔な文章で、初心者だけど短歌を学びたいこと、見本誌を送ってほしいことをメールします(誤字脱字がないか三回チェックしてから送信)。

→②' 思いがけず凄くあたたかい励ましと丁寧な返信を頂いたりして胸が熱くなりました。

③ あとはひざを抱えて見本誌が届くのを数日待ちます。


『短歌研究12月号』や角川『短歌年鑑』を読むと、短歌結社はものすごーく多くて、それぞれの結社にいる人数も想像を超えていて、何も知らなかったわたしはびっくりでした。
これから先、わたしが思いきり短歌活動、タンカツをがんばれる場所はどこなんだろう?と思ったので、気になる結社をいくつかにしぼって見本誌を送ってくださるようお願いすることにしました。

先輩方の「詠草が...」「締切が...」というツイートを日々拝読しているので、結社に入ってもきちんと確実に自分のペースで続けられるのか、すこし怖い気持ちもあります。自分はまだまだ覚悟が足りないのではないかと不安もあります。歌会童貞だし...。

でもでも、とりあえず!見本誌が無事届くのを待ちましょう!
タンカツ!タンカツ!


【今日のうた】

白い森は冬至を過ぎてなお静か光の綾をヴェールが揺らす

 竹内亮『タルト・タタンと炭酸水』

中日歌壇2016/12/19

古新聞みたいな色合いに写っちゃったけど、、、(^_^;)今朝の中日新聞なんですよ。。。

小島ゆかり選欄

「ご自愛」は優しい言葉 梅干しの入った三分粥の味がする/森緑


入院中、手術後は、絶食、流動食、三分粥、五分粥、全粥、と段階的に米が増えて固さを増してゆきました。流動食はどろどろのコーンスープみたいなのでしたから、三分粥になった時は「とうとうごはんやー!」ってしみわたるようにうまかった。添えてあるちっちゃな固い梅干しも、お粥に入れてふやかして。

入院セットに入ってた白いスプーンで食べるのですが、元気よくパクパク食べる体力はないので、一口ずつかんでかんでかんで、のみこむ、すごく時間がかかる。
食べるのも体力が要るので、三回の食事はたのしみだけど、食後にはちょっと疲れてしまう。そんな時に横になり、雑誌の広告欄のすみっこにボールペンでちょこちょこと短歌を書いていました。わたしには詩的なひきだしも無いし、実体験しか詠めないのですが。

中日歌壇の小島ゆかりさんの選歌欄はいつもあたたかいうたが多くて、そこに選んでもらえると、自分がちゃんと血のかよった人間だと認めてもらえたみたいな気持ちになれる。優しさと思いやりと人間的あたたかみに欠ける自分のことを欠陥人間と思いながら生きてるわたしには、とてもありがたい場なのです。

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