恋を語る歌人になれなくて

2016,5月 LINEで送信したメッセージを「それは短歌だよ」と教えてもらったことをきっかけに、短歌な世界に引き込まれて行く。おそーるおそーるな一歩一歩の記録。

『オワーズから始まった。』を読みました(後編)

白井健康さんの『オワーズから始まった。』を読んで、特にⅡ、Ⅲ部で思うところ、考えたところがあったので、Ⅰ部とは分けて書いてみたいと思います。
(Ⅰ部については、前の記事で書きました。よろしければお読みください)

口蹄疫対策にあたるなかで詠まれたⅠ部を前半、Ⅱ、Ⅲ部を後半と、ここでは仮に呼びます。
わたしには、後半のほうが、胸にぎゅっと来る歌が多いので、本には付箋ビラビラで、ここでもたくさん引用したいです。(でもね、引用を読んだことで一冊読んだ気になってもらっちゃあー、困るのだ!)

わたしが、読んでてドキッとした歌を中心に、引用してみます。


電子手帳の(欺瞞)の声の柔らかい彼女と似てるきみを愛した

自販機のボタンをみんな押してゆくどんな女も孕ませるよう

ふたりしてコートを脱ぎ捨て沈むときうっかり鱗を落としてしまう

iPhoneを愛撫している親指とあなたの舌がいつも似ている

ゆうすげとつぶやくひとの唇のおくに一輪ゆうすげが咲く

手漉き紙をいくつも重ね深海にあなたと違う生きかたがある

空き箱の深さがちょうどいいのです何も入れずにあなたを入れる

海風に羽をひろげてわたしたち何も聞かれずただ奪われる

ルナティック、夜中に聞いた話ではおんなと肉を食う楽しさよ


ああ、大人の、成熟した相聞歌というのはこんなにどきどきするのか、と初めて知りました。ときめきます。

最近の短歌は短歌の背後にいるはずの「われ」が希薄になり、大喜利的に大多数に瞬間的にウケて面白がれたらいい、みたいなことを聞き及んでますが、わたしはそのへんのふわっとした短歌が実は苦手です。この本を読んで、わたしの好きなのは読み進めるうち人物像が立ち上がってくるこういう歌なんだ、と改めてつよく思いました。

短歌だし、生身の人間の言葉なんだけど、白井さんにとって造詣が深い現代詩の世界を泳いでやって来た言葉の佇まいのようなものがあり、何度読み返しても新鮮です。

あと、余談ながら、読んですぐ作者の白井さんに実に失礼な質問メールをしてしまったのですが(今となっては超ハズカシイ...)、とても易しい言葉で作者と作中主体の関係と読みについて解説をしてくださった上に、さらに解りやすいレジュメまで送ってくださったのでした。白井さん、ほんとにありがとうございます!

まだまだ未熟者の自分にとって、頭で解ってるつもりでも、存じ上げてるつもりの作者だと特に、作者=作中主体として読み誤ってしまうという事例に出会い、読むときの意識、心がけに一本筋を通せるようにならねばと学びました。


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