恋を語る歌人になれなくて

2016,5月 LINEで送信したメッセージを「それは短歌だよ」と教えてもらったことをきっかけに、短歌な世界に引き込まれて行く。おそーるおそーるな一歩一歩の記録。

小坂井大輔さんの「平和園に帰ろうよ」を読んだよ!

もう、ね、付箋はりながらだけど一気読みだった。

歌集をこんなにぐおおおおーーって読み切ったのはじめてだ。

ふだんは途中で苦しくなって、ほかの本に逃げてまた忘れたころ歌集に戻ってを繰り返しながら一冊の歌集を読み終えている気がする。

歌集全体にほとばしる疾走感というのか、ぐいぐい行った。

 

ちゃありぃさんは、わたしが短歌をはじめた2016年の春のおわり頃、どこでどうやったら短歌できるのか田舎でとほうにくれていたわたしに、ネットで最初に話しかけてくれた歌人だ。

わたしが短歌ヒヨコでまだおしりに卵の殻をつけて歩いてたぐらいの頃に、短歌のお兄さん(体操のお兄さん的な…)と呼んで平和園にひとり出かけてはちゃーはんを食べながら相談していた。

短歌結社の話など、わたしにははるか雲の上の出来事のように、ほえーそうなんですか、と聞いていたけど、のちにちゃありぃさんと同じ加藤治郎先生の短歌のドア講座にも通い始めて(早起きできず半年しか続けられなかった)、さらにのちに、同じ短歌結社の別の選歌欄に所属することになる(このブログを始めたころにも書いていたかな??)

 

一気読みの途中で付箋をはりながら思ったのは、この歌集は読む人によって付箋の位置がぜんぜん違ったりしそうだなぁ、ということだった。

わたしが付箋をはったところは、もう、びらっびらなのでぜんぶは列挙しないのだけれど、わたしの好きは誰かの好きとは違うから、そういうことなんだと思う。

 

歌の良さ、って、なんだろうなぁ。

歌会などの評で、「うっわ、好きだわ、これー」では良さを伝えるのには適切でないのかも知れないけれど、この歌は推したいんだよなああ、みたいな気持ちが押し寄せてくる感じ。そういう歌が多いと付箋でびらっびらになるのかなぁ、と考えたりもした。

 

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実は、何時間かかけて、いろいろ書いてみたのだけど、どうにもまとまりませんでした。(一番あかんパターンや…)

 

 

①初句から結句まで一息で読ませてしまうのに様子が思い浮かぶ勢いが凄い歌。

(いろいろ分類していたら、ザ・勢い!という歌が多かった、これが一気読みにつながったか??)

 

『平和園に帰ろうよ』「汚れた天使」から

一万円ですかと弱った声を出す運転手と聞くハザードの音

 

「虎と目が合う」から

抜かれた舌が一度おおきく弾むのを待ってる閻魔様とスタッフ

 

「愛欲は死ね」から

手羽先の食べかたみとりゃあこうやって持ってくわえて引き抜くんだわ

(これ!!!!なんて小気味いいんだろう!!!)

 

 

②「死」について、たびたび登場する。

タイトルの平和園、死んだように生きてるわたしには生の実感あふれる場所と感じるけど、死はすぐそばにある、ということなのかな。死を求めるわけじゃなく、そこに自然とあるもの、というか。もっと言うと、死というより、死にまつわるアイテムが多彩というのも感じる。棺、喪主、読経、天国の祭りなどなど。

 

「ホルモン」から

雨の音をアプリで買って聴いている晴れの日こんな午後に死にたい

 

「ファイティングポーズ」から

小走りでさっき「やぁっ」って通過したあれが死神だったらしいよ

 

「飛んでくる石」から

死んでいるぼくのからだをゆびさして「あれが僕です」と受付で言う

 

いくら死を詠んでも、死にたがりメンヘラ短歌に1ミリもなっていかないのは、やはりオカルト歌人の力量なのかなあ(感嘆)。

 

③詩的な部分にふれるよろこび

わたしは子供の頃から授業などで詩の朗読をすることがとにかく苦手で、「もっと感情を出して!」とか教師に言われるたび半泣きで怒り狂ってたんだけど、その反動から詩が非常に苦手になり、短歌をはじめたけれど詩的な表現から離れた位置にひっそり身をひそめるように、詩的とは全然いえないタイプの短歌ばかり作っている(これは短歌をはじめて気づいたコンプレックスで、いま初めて言った、気がする)。

 

この歌集のきもちいいところは、日常をがつんがつん迫力ある表現で詠んでいて、アナーキーな感じや時に暴力的な空気もあふれさせているのに(そういう歌にわたしの付箋はたくさんついた)、にやにや油断して読んでると、ふわっと詩的な空気を運んできたりする。

それなのに、わたしの苦手だった詩とは違う味がして、いやな感じがしなくて、むしろ、自分の好きな詩的レベルで短歌をやったらええんやでって言われてるような、地獄に仏みたいな気分に勝手になってしまったよ。

 

「むしゃむしゃぺっぺ」から

柔道の受け身練習目を閉じて音だけ聞いていたら海です

 

「愛欲は死ね」から

持ちあげたグラスの底におしぼりの袋がついてる愛欲は死ね

(愛欲は死ねって凄いキラーフレーズだなぁ)

 

「虎と目が合う」

母親のとても小さなスリッパを履いてそのまま海に来ている

 

④なんかわかる、そうそうそう、な歌。これも付箋多かった。

 

「夜のデニーズ」から

大雨のなかを力士が自転車で走る全員メガネかけてる

(眼鏡のお相撲さん!!!!そうそうそう!すぐに映像が脳内に浮かぶ)

 

「猪木のビンタ」から

試合中ブラ引っ張って審判に何やら喚きまくるシャラポワ

(そうそうそう!ヒンギスでもヴィーナスでもダメでここはシャラポワ!って妙に納得した)

 

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まとめるつもりがまとまらなくなって半日経つし、読んでくれる人もしんどなってきたでしょ?そろそろ。長々と個人の感想を読んでくださって、ありがとうございます。

 

 

小坂井さんことちゃありぃさんは、「今会いに行けるアイドル」ならぬ「今会いに行ける歌人(定休日以外)」だと思う。握手券付きCDとか買わなくても、おいしいちゃーはんを注文すれば(お店の混み具合にもよるけど)お話できるよ。

 

歌集を読んで興味をもたれた方は平和園にごはんを食べにゆくといいと思う。わたしの好きなのは、ブッた切らなくてもひとくちではんなり食べられる、小ぶりのぎょーざと、それと、研究してもなかなか自宅で再現できない、しゃきしゃきのモヤシ炒め。ちゃーはんは真っ先に頼んで、ちゃありぃさんが鍋振る動作を眺めてるかな。

 

 

それから、2016年の今頃のわたしに、一冊渡して「あと数十日するとあんたこの歌人と出会うよ、それに自分も短歌やってる、嘘じゃないよ、あ、でも、この本が出る頃には今の本屋辞めてるから自分とこのミセで短歌のフェアはできないよ」って教えてやりたいわー。