雑誌、歌集、インターネット、などなどなど。もっと読みたいと求めたら、短歌はこんなにも近くそこかしこに在ったのか!と驚きの毎日です。
でも、実は。
ときどき、短歌について述べた文章内に、「作者の人間性」という言葉をみつけては、自分のような者は震え上がっています。
「に...にんげんせい!!!」
自分のような欠陥にんげんが短歌したら、得体の知れないおどろおどろしい物がデロデロでてきて人間性の「無さ」に誰も短歌ともだちになど、なってくれないのではないか...。
(そう、欠陥にんげんだけど人間の短歌のともだちがほしいのです...)
話は短歌からおおきく変わりますが、職場にみんな困っていた問題児的新人がいてみんなに叱られてもケロッとしていたのですが、わたしが真剣に叱った翌日に、辞めたいと言い出しました。
わたしの叱り方がきびしかったのでしょうか?と先輩たちに聞いても、よくわからないようです。怒鳴ったりはしないし、どちらかと言えば温厚そうな先輩であるわたしから、冷淡で救いの無い言葉を投げつけられたと感じて、ついに辞める気になったのかも知れません。推測でしかないけれど。
この時、考えたのは、「言葉の威力」についてです。
子供の頃から意思の主張が弱く、誰にもわたしの声や言いたいことなど届かないと思って生きてきたけど、よりによって今回は思ってることが言葉によって届いたわけです。わたしは本当は、新人に辞めてほしかったのです。
短歌するようになって、言葉と気持ちの距離が近くなったと実感しています。今度のことは、その証明だという気がしています。
【今日のうた】
海にひとつ空にひとつの望月のありてデボン紀のやうなしづけさ
藤岡成子『雨はときどきやさしくあらず』
(わたしのつまらないブログをわざわざ読んでくれる方に、少しでも何かお得感を持って帰ってほしいので、毎日その日ひびいた歌をのせていくことにしました)