昨年12月あたりから、父の認知症と足腰の弱りがひどくなっていて、ちょっと動けばずでーん!と転んでも起きられず、わたしと母のふたりがかりで引っ張りあげないといけなかったり、ストーブに衝突しては火を消してしまったり、言うこともメチャクチャだったりして、目が離せない状態になり、わたしは毎日、親の見張りと親の用事で専属ドライバーをさせられています。
父はもともとが暴君なので、ボケボケでも言うことを聞かないで危ないことでもするからハラハラします。はよ、死んで。
医者は「今、施設に入れたら、すぐ認知症すすんで家族の顔も忘れてしまいますよ」というけれど、「忘れてもらって上等!こっちも忘れたい存在なんだよ!!」と次回の検査のあと、はっきり意思表示しようと思います。
赤子より手のかかる上にくちだけは偉そうなジジイの世話で疲弊する毎日です。毎日が連勤みたいなもので、はぁー、施設にブチ込んで休みたい!
母とふたりの暮らしも、けっこう息詰まるえぐい空気になりそうだけど、そこはまあ、まだマシかな。なかなか明け渡してもらえない台所を自由にできるようになるだろうと思うと、あれもこれも作りたい、ニヒヒ、と思ったりもします。
そんなこんなで、お年賀も今年は出せずにおり失礼いたしました。
うたのことまで手が(きもちが)回らなくてちょっと焦りを感じます。
さて。今月号の「かりん」はもっと遅くなるのかなと思っていたのにビシッと早く届けていただけて、とても感激しました。いつもきっと大変な思いで作って送ってくださっているのだろうなあ、と思うと本当に有り難く感じます。
今月号のうたでは、まだまだ恋のうたをずるずる引きずってます。
現時点では、親の介護のことでいっぱいで、片恋のお相手のことを思い出せる時間も減少してしまい、このまま好きのきもちも憧れに逆戻りしてしまうのかな・・・現実的に考えて遠い都の雲上人との恋なんて叶わないから黙ってあきらめた方がいいのかな・・・ときもちはもやもや停滞ぎみです。
Ⅲ欄のぱらぱら~とめくったあたりにいます。
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かりん1月号のうた 森田しなの
月下にて魔女の姿に戻るとき水晶は月のしずくに濡れる
魔女なれど高嶺の花に恋すればヒトとおなじく落ち込みもする
ひえびえと夜風に吹かれ想ってもあなたはわたしを思い出さない
わたしだと気づかれぬよう鳥としてあなたのそばで生涯暮らす
劇場でかつてみた映画「日の名残り」淡い余韻を抱きつつ読む
本を読むひとときだけは片恋を忘れられそうで忘れていない
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今月号でうれしかったのは、前月号作品鑑賞(Ⅲ欄)のページで、貝澤駿一さんに二首引いてもらって、自分では思ってはいるけど前面に押し出してはいなかったことをきちんと読み解いて歌評をしていただいていて、しみじみ、作者と評者の思いが深く合致したらこんなにスッキリするんだわ~あ、と思いました。ありがとうございます。
引いていただいた先月号のうたはこちらでした。
どの恋も信じることができなくて信じてもらうこともなかった
産まないと言ったら家族になる意味がないと返され、今も独りだ/森田しなの
比べるのも変な話だけど、前にいた「未来」にも前の号から良かった歌など引いて歌評してもらえる工房月旦というページはありましたが、歌評の質、量は「かりん」の方が充実していると感じます。まあ、嫌になって辞めてきたよそさまの愚痴はおくちチャック、がよろしいですわね。
そ、し、て!
北海道のさくらさんが、入会から待つこと数ヵ月、ついに今月号で掲載デビューでした。Ⅲ欄の91ページ上段にいます。わたしは雑な性分で、さくらたんのような繊細なうたは詠めないのですが、前から注目していました。さくらたんがこれからどんな風にかりんで短歌生活を送っていくのか、いっしょに楽しんでいけたらと願っています。