九月に入って、夜はもう秋めいてきましたねえ。
「かりん」9月号、九月になって早々に届けていただきました。
いつも本当にありがとうございます。
今年はまだ夏だというのに冬の冬眠にちかい眠り過ぎが多くて、長時間の眠りと止まらない咳と頭痛と倦怠感と微熱というたいした恐怖感のない合わせ技で、しんどいというのもお恥ずかしい症状でずるずる来てしまいました。
今月号は、伝えたかった歌がうまく行っていなかったためボツになり、なんのことやらわからない作品になっていて、自分で読んでもつまらんなー、もっといい作品にしたいのになー、ともやんもやんしてしまいます。
家にこもって暮らしているから、せいぜい庭と本屋さんとテニスコートにしか行かないのも問題だと思います。もう隠居してるようなもんだから、職場詠もできないし。家族との軋轢みたいなのを詠むけど、うまくいかない。
あと、かつては「短歌定型警察」(自称)だったのに、定形を大幅に超えてしまって破調が過ぎるものを出してしまったりするようになった。自分ではどこまでなら行けるのか、足元を確かめながら試しているつもりだけれど、超えてしまっていたりすることもあるみたい。
十首の作り方も問題なんだと思う。ひとつのテーマで十のうたを作れなくて、二~三首のかたまりをくっつけてまとめているから、どこかつまずくとバラバラになってしまう。今は、恋のうたしか出てこないけど。
今月号もⅢ欄のぺらぺらぺらーっとめくったあたりにいます。
出来るまわりの人たちがまぶしくて、好きと思っている人にもきっと気づいてもらえないし、自分がちっぽけに思えて、お風呂の中で声を殺して泣いてしまったりもします。ある日、唐突に、短歌をふわっとやめてしまって、昔ガリガリがんばっていたヴァイオリンの練習に戻ってしまうんじゃないか、と楽器屋さんの前を通るたび怖くなったりもします。
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9月号のうた 森田しなの
採血の吸われゆく血が不味そうでチューブをまっすぐに見られない
はつなつの温度に後押しされたよう体のチューニングが合ってきた
おそるおそるコートに立てばぜんまいがきゅるきゅる巻かれて動きは速い
せかせかと新聞をしばる一面に東京五輪の記事は飛び去る
清潔の尺度と嫌いな関取が合わないとぶつかる家族なるチーム
ラケットを構えるさまが正面で受け止める素浪人じみてきた
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いきなり素浪人??となるんですけど、直前には、時代劇専門チャンネルを父も母もわたしも見たいのだが申し込んだら負けのチキンレースを毎日している、という歌があったのです、それがあまりにも破調すぎて失敗していたのでちょっと素浪人だけ読むとわかりにくくてすみません。
お相撲も好きだけど、時代劇も好きなんですよー。
今月は、前月号作品鑑賞(Ⅲ欄)のページで、上條素山さんに先月号から一首引いて歌評をしていただいています。わたしはあまりむずかしいことができない、知らないので、短歌をつくるときは、ほわっと降りてきたものやぶつかったものをつかんでもじょもじょもじょっとして定型の箱(何色だろう)に入れてみるだけなので、つくったわたしより真に迫った丁寧な読み方をしてくださると、もう、とてもありがたいことです。
こちらのうたです。
蟹を食べるこの集中が永遠につづけば悟りをひらく時がくる/森田しなの
(「かりん」8月号)
上條さんが書いてくださったこと、おっしゃる通り!というきもちで読ませていただきました。
ありがとうございます!励みになります。
もっといい歌を詠めるようになりたいです。