恋を語る歌人になれなくて

2016,5月 LINEで送信したメッセージを「それは短歌だよ」と教えてもらったことをきっかけに、短歌な世界に引き込まれて行く。おそーるおそーるな一歩一歩の記録。

え?みらいプラザに掲載??( ゚Д゚) 未来2019年9月号の歌「人体のふしぎ」

歌集を読んだこともなかったのにある日唐突に短歌が出て来るようになり三年と少し経ったわけですが、楽しい一心で短歌をやっていたら、とても良いことがありました。

 

今月号の未来短歌会の結社誌で、いつもの選歌欄とは別で、もうちょい前の方の選歌欄から一人ずつ並べて載る「みらいプラザ」のページに初めて載せてもらったのです。

 

いつもの夏韻集のページから、一人、ほかの選歌欄の精鋭のみなさんと並んでしまって、ほんとに、こんな奇跡があるなんて。。。

検尿とか、チャーハン上手い俳優とか、そういう歌ばかりで、なんか恐縮ですけど、信頼する師である大辻せんせいがええと思ってそこへ載せてくれたんやなぁ、と思うとじわじわうれしさが来ます。だって、わたしなど、そのような晴れがましいページを飾るタイプの歌詠みではないですもん。

 

選歌後期では、森緑から森田しなのに名前を変えたこともふれてもらってあって、まっすぐな歌いぶりが魅力と言っていただけたので、何かこう、自分のなかでの迷い、ほかの人みたいに素敵な歌、かっこいい歌が詠めないことでの悩みもブレイクスルー!って感じです。

わたしの中身はこうなので、どうしたってこういう歌になるんですなぁ。それも引き受けて自分の歌なのかも。

 

そして、そして、そして。

 

夏韻集で一番近く感じていたひぞのゆうこさんが、12月号から戻ってきてくれることになりました!いぇーーい。

気持ちの距離が近いと思っていたのに、夏韻集を去ってゆく時わたしは何にも知らず何にもできないでいた。

暁美ほむらだったら、何度でも時間遡行してまどかのために何かできることを探しに行ったはずなのに、とずっと気になってた。

 

わたしはほむらちゃんじゃないし、この一年も変わらずのんきに、うわぁ短歌楽しい~!とか言い続けてたわけだけど、つながりを離したくない人には自分からもう一歩近付いていってみよう、と最近のわたしは思うようになりました。少し前にも、たぶんちょいうざがられたかもだけど、つながりを離したくない人に気持ちをぶつけてみたりしました。沈黙のヒキコモリーナから、和をもって仲良く楽しくやりたいヒキコモリーナになります。

 

 

それでは、ほんと気が向いたらでいいので、よかったら読んでください。

未来9月号の歌です。

ーーーーーー

人体のふしぎ    森田しなの

 

清潔の尺度が違う母と居て布巾のしみに苛立っている

しがらみのない新しい病院のクチコミと☆をスマホにて見る

問診票に服用薬を書きおればボールペンの黒かすれてしまう

検尿のカップを笑顔で渡されるさわやかに「おしっこ」と言えるひと

検尿を差し出す小窓は引き戸にて軽いちからで横に滑りぬ

院長はチャーハンが上手い俳優に似ている名前は出てこないけど

それはそうと、勝手に石をつくるとはわたしの体のくせに、おまえは

眠る前「チャーハンうまい俳優」とスマホGoogle検索をする

外付けの子宮ドライブ設置して貴様が三人産んでみせろよ

月のない夜に目覚める泣きたくて母の那智黒ひとつ盗んだ

ーーーーーー

 

タイトルを「チャーハン上手い俳優」にしようかと思ったけど、踏み止まって良かった気がするー。

 

 

未来2019年8月号の歌「未使用中古」

八月に入ったとたん、ぷぎゃーっと仕事が忙しくなった。

忙しいというより、分量と日数から考えて復帰以降最大級。しかも9月中頃までの大型案件らしい。久しぶりに聞くねぇ~、大型案件。復帰以降はじめてではないか?

 

そんなテンテコマイなところへ、未来8月号がサラッと届きました。

今月の夏韻集の選歌後記はすごい。大辻せんせいから月詠を出した全員に、一人一人コメントがある!大辻せんせいの生の声が聞こえてくるようで、感激でちょっと泣きかけた。

 

今月は、欄頭ファイブでした。

狙って載るものでもないし、まあ、たまにはこんな珍しいこともあるんだわ、ということで。

なんでこんなのが欄頭ファイブに⁉みたいな怨念がとんで来たらいやだな。イワコデジマ、イワコデジマ、、、

 

まあ、まあ、よかったら、読んでみてください。

 

先月号のも伊勢歌話会でお会いしたとき、よかったで、と大辻せんせいから言ってもらったのだけど、自分ではあかんやつ出してしもたと思てました、って言ったら、自分の歌のよさは自分では気づきにくいよなぁ、っておっしゃってた。

自分の歌の良さや特色に気づけたら、もっと自在に詠めるようになるのかしら。。。

 

ーーーーーーーーー

未使用中古      森田しなの

 

ドーナツの描かれている布製のかばんの持ち手が黄ばんでしまう

ひび割れたウタマロ石鹸湿らせてシャツの袖口に滑らせてゆく

繁殖の成功率の高きゆえ優秀なオスと呼ばれておりぬ

天皇賞の中継ながれる居間にいて誰ひとり馬をみていない午後

未使用という中古車を買ってみた禍々しいほど新車のにおい

エンジンが自動で停止する仕様こころまでゆるしたとおもうなよ

元号の一覧表をみておれば元カレの名が三人もある

sh(エスエイチ)の発音を聞き振り返る鈴木杏樹が映されており

アザレアの真っ赤な花につぎつぎと体のまるい蜂が飛び込む

「蛇になれ」と蛇にいわれる夢をみた薄いみどりのよく肥えた蛇

 

ーーーーーーーーー

 

今月は、未来全国大会もあるのだけど、わたしはお察しのとおり、ヒキコモリーナなので、遠出する体力と全方位的に社交できる能力に自信がないので、遠慮することにした。

内容が魅力的なので行けないのはモッタイナイ。。。

参加される方、たっぷり楽しんでいらしてください。

 

 

 

未来2019年7月号の歌「春」

今月号も無事に届けていただけました。

毎月、一冊がたくさんの方による仕事で成り立ちこんな山奥まで届けていただけること、ほんとうに有り難いことです。

 

今月号は、四月、未来で月詠を送り始めて最もミッションインポシブルな感じに歌ができなくて、ほんとうに難儀して、とうとう十首出せませんでした、はじめて。

なんとかゴリゴリ出し切った九首を少しだけやけっぱちな気持ちで投函してしまったこと、自戒をこめてここに記します。あれはやっちゃいかん。

 

なので、もう、今月が来るのは気が重かったです。

開いてスカスカだったらどうしよう?と思ったけど、切迫して詠んだ九首が並んでいて、肩のちから抜けました。ふぅ。

 

そんな今月号はこちらです。

ーーーーーーーー

春   森田しなの

 

眠りへと戻りゆくとき耳元に鹿のこえのみ高らかに聴く

 

まっすぐに聞けないことは増えてゆくマックの好きなメニューを語る

 

あの春にわたしをクビにした社長さいごは涙ぐんでいたよね

 

菜の花はやけに明るい熱帯魚 春はしずかに狙ってる蛇

 

散る桜すすむ暦に置いてかれ深夜降りだす雨は土砂降り

 

金属のつめたいドアに触れるときちいさな痛み、ほんのちいさな

 

紙パックの野菜ジュースはぬるくなりにんじんの味ばかり濃くなる

 

スピッツを春のはじめの季語としてわたしのなかの歳時記に書く

 

カカオ95%のチョコを食む苦みはわたしに目醒めよと言う

 

ーーーーーーーー

 

先月デビューを飾った下谷育正さん、今月は夏韻集の欄頭ファイブ入りです!

いぇーい!!!

毎月の伊勢歌話会でもしっかりした学生さんやなぁと思って頼りにしていますが、期待のニューフェイスを未来誌面でも見守りつつ、わたしはわたしのペースで、自分の楽しみのために精進していきたいと思います。

 

 

未来2019年6月号のうた「たねを蒔きたい」

腎臓結石の再発におびえているうちに、6月になっていました。

 

未来6月号、届きました~。毎月たのしみに待っています。

未来に入会して二年ちょっとでお会いできた方、お名前だけネットで見かけている方などたくさん読みたい人が増えました。

やっぱり、知ってる人、気になる人の歌って、まっさきに読みますよ。

 

伊勢歌話会でいつも良い歌をたくさん読ませてくれて、司会のピンチヒッターもがんばってくれている下谷育正さん(たぶん夏韻集でいちばん若いのでは??)、いよいよ今月号から掲載されています。

 

中村は憧れなんだと言いながらアイスコーヒーの氷転がす/下谷育正「トランスパラントの未来」

 

 

2年前の5月号でわたしが夏韻集の子になった時(あの頃はメーテルじゃなくて、まだマリリン・マンソンだったな…)、たくさんの先輩から迎えてもらったのが印象的でした。

先輩方が、わたしのように特にネットで発信もしない目立たない後輩にも目を向けてくださったり、迷ったときにも相談にのってくださるのを、結社の良いところだと感じているので、わたしもそんな良い先輩になれたらなあ、と思う。まあ、まだ成長中ということで。。。

 

 

今月号の歌は、ひそかな趣味について歌にしました。

食べ物をみると、わたし、たねが気になって植えたくてうずうずするんですよ。

ベランダでいっろいろ育てまくったけど、最終的には食べたもののたねを発芽させて観葉植物にして楽しむのが一番はまる。ということで、好きなことを歌にするのは、お相撲短歌もそうだけど、優れた歌かどうかより詠んでて自分が楽しいんですよねー。

 

ーーーーーーーー

未来2019年6月号の歌 たねを蒔きたい 森田しなの

 

少しだけ行き過ぎ気づく沈丁花かおり重くて足を留めたり

 

寒かった昨夜の豚汁きょうはもう春の陽が差し箸は進まず

 

啓蟄やたね蒔きたくて体内の虫はわたしを動かし始む

 

マンゴーは立派なフォルムのたねを持つたねが欲しくてひとつ求める

 

コンビニのプリンパフェからたねを得るグレープフルーツは発芽しやすい

 

唐揚げに添えたレモンのたねを取るみんな酔ってるからかまわない

 

たねを蒔き「平和園」とだけ札に書くレモンが芽生え唐揚げが成る

 

ゆるやかに萎れつづける好きというきもちの根元をスコップで掘る

 

平成はもうすぐ終わる今ならばヒガシが中村主水でもいい

 

ーーーーーーーー

 

 

もはや、平和園は歌枕です(断定)。

 

 

未来2019年5月号のうた

f:id:mxmidori:20190511213303j:plain

伊勢歌話会から鼻唄(イエモン)まじりに帰宅したら、届いてました!

ちょうど2年前の5月号からスタートした夏韻集の森緑は、
今月号から森田しなのになりました!

2年間の森緑期間はあおむしで、これからサナギになるのでしょうか。
まあ、まあ、のんびり楽しく!やっていきます。

2年前、初めての月詠を出したすぐ後、師匠に歌会でお会いしたら
「肩にちから入っとったな。笑」って言ってもらったのを思い出します。
あの頃は、もっと凄く精進しなくちゃいかん、滝行いくか!ぐらいの勢いで
自分に厳しかったけど、今は程よくゆるっとがんばってる気がします。

焼肉おいしい!短歌たのしい!
みたいな感じです。


森田しなのとして再デビューしたので、記念に一枚撮りました。

よかったら読んでみてください。

ーーーーー

未来 2019年5月号のうた 森田しなの

占いに凶と出る名で生きてゆく吉運をよぶ筆名つけて

親族にケイコ多かり広島の圭子などことば添えて呼ばれる

稀勢の里引退すべし我が声の尖りゆくとき母は黙せり

取組をスローで見れば脇腹の肉はばゆんばゆんとはずむ

会見を涙しながら見る母に声はかけずに部屋を出でたり

椿の葉みどり濃くあり冬の陽に照らされ時に白くきらめく

兄嫁と兄とランチに寿司を食む鰤は苦手と言えずほおばる

お寿司屋のおすすめメニューを眺めつつカニクリームコロッケ頼めずにいる

院長の妹だからがまんする手の甲に刺す採血の針

ーーーーー

いやあ、荒磯親方!!
稀勢の里時代は推せなかったけど、引退して親方になられたら
解説は順調じゃないですかー。
完全に、好きなことについてなら熱く語れるおたくのようで
大変好感をもって見ています。

お相撲短歌はがんばってこしらえるというより、
見てるとついつい詠みたくなる。
今は夏場所中なので、また何かできるかも。

推し力士の逸ノ城だけは見逃さないように
夕方ごろになるとソワソワしてます。
(見逃したら公式アプリから取組の動画が即座に送られてきますけど)

戸田響子さんの第一歌集『煮汁』を読んだら短歌つくりたくなった

戸田響子さんの『煮汁』を読み終えたら、そのまますぐ短歌に向き合いたくなって五首ほど歌をつくった。そのため感想をまとめるまでにちょっと間が空いてしまった。

 

良い歌集は、短歌力(たんかぱわー)をチャージしてくれるごちそうみたいなものだと思っている。短歌力(たんかぱわー)のチャージにも相性があって、非常に良い歌集とされていても、この用途において自分に効かないこともある。

 

『煮汁』、オカルト歌人の戸田響子さんも、昭和感というかノスタルジックな空気を運んでくる戸田響子さんも、日常から繊細な歌をうむ戸田響子さんもいて、あふれ出してる~という感じがした。

 

好き!の付箋、いっぱいついた。

以前に読んだことがあるのにまた好き!の付箋付けちゃう歌も多かった。記憶に残るぐらい好きってことなのかな、と思う。

 

あと、作品ごとのタイトルも独特なので、目次をみたとき声でちゃった。

 

 

インパクトがあって、不思議で、でもそれだけではない歌。

オカルトに限定されない不可思議なものを察知する感覚の歌。

その中でもわたしが好きなのをいくつか挙げてみる。

 

『煮汁』「アスパラガスを握りしめ」から

人間の記憶はあいまいリカちゃんのお尻はきちんと割れてましたか

 

やめろやめろーと月に向かって叫んでる男の手にはアスパラガスが

 

泡をふき惨事のように沈みゆく入浴剤をじっと見送る

 

「オカルト雑誌のある部屋」から

エサが欲しいわけではなくて鯉たちの口の動きが送る警告

 

「ラーメンでつながっている」から

ラーメンの湯気立ち昇りこの麺はどこか遠くにつながっている

 

「正月もスクワットしろ」から

バラバラになってもバナナはバナナなのにテープで房を固定する父

 

 

日常のなかのささやかなことを繊細な視線で詠んだ歌。

時にノスタルジックであったり、あるいは今の現実の中でも、ああそうそうそうだよなあと思うような歌。

 

「拾いながらゆく」から

電話の横のお菓子の缶に増えてゆくインクが切れたボールペンたち

 

裏の白いチラシとそうじゃないチラシ分けているとき羽虫が横切る

 

駅前でポケットティッシュを受け取った目は合わないのに触れる指先

 

「やわらかく変わる」から

たんぽぽを探せば意外と見つからず名前を知らない草花を踏む

(これは後に書く③詩的な気持ちを呼び起こす歌にも入ると思う)

 

多重露光」から

銀行のカウンターには「オレ」「オレ」と書かれたうちわが何本も立つ

 

「わいふぁい」から

夜道にてテレビの音がはっきりと聞こえてきたから夏が始まる

 

「この街の海」から

よく知らない実がなっているなんだろう そういうことを毎日忘れる

 

 

①を「ワンダー」としたら、②は「共感」に近いようだけれど、そこの具合は読者にゆだねられてるところなのかな、そもそも分類することないのかも~…とも思うけど、好きな歌をだだだだと列挙するのもわかりにくいかと思ったので、ブログの中で推したい歌を分けて挙げてるだけ、ということで。

 

 

詩的な気持ちを呼び起こす歌。

わたしは、ここに入るタイプの歌に強く惹かれたなぁ。

 

「オカリナが聞こえたら」から

きみとゆく旅路はアップルロリポップ悪路であればいいと願って

 

きみのいた世界からいない世界へとスライドしていく音がしている

(はー、このシンプルな表現が美しくて、好き!)

 

「やわらかく変わる」から

シャープペンシル何度もノックをして芯の危うさを見てそっと戻して

 

「きみを追う」から

かみさまの言葉を忘れてゆく子供擬音をつかわず「かみなり」という

 

多重露光」から

早朝は夢も現実も同じものトーストに降るシナモンシュガー

 

ほつほつとコーヒーメーカーから落ちる黒いしずくのような戸惑い

 

ひるがえるスカーフのように去る猫のひらがなめいた足の残像

 

アルコール消毒液を手に受ける小さなくしゃみのようなささやき

 

「たなかさんちのじてんしゃがじゃま」から

忘れてたそれはスライスチーズからフィルターを外す呪文であった

(これは非常に好き!どんな、呪文な、の??)

 

「訃報」から

ではまたと締めくくったらさみしくて手紙の端に添えるくまの絵

 

 

・・・また長くなってしまった。好きな歌集から歌を選んで紹介するのって、めちゃ楽しい。

 

長々と読んでくださって、ありがとうございます。

 

 

 

この一冊のなかにも、いろんな戸田響子さんがあふれてるから、どこを切り取って好きというかは人によって違うのだろうなあ。あと勝手に3つのタイプに分けてみたけど、余計なことで、そのまま受け取ればよいのかな、とも思う。

 

戸田響子さんには戸田響子さんの世界があって、それを表現する術を身につけた人はきっと強い、と思う。

 

第二歌集はどう来るのかな、って今からもう楽しみだなー。

 

 

 

小坂井大輔さんの「平和園に帰ろうよ」を読んだよ!

もう、ね、付箋はりながらだけど一気読みだった。

歌集をこんなにぐおおおおーーって読み切ったのはじめてだ。

ふだんは途中で苦しくなって、ほかの本に逃げてまた忘れたころ歌集に戻ってを繰り返しながら一冊の歌集を読み終えている気がする。

歌集全体にほとばしる疾走感というのか、ぐいぐい行った。

 

ちゃありぃさんは、わたしが短歌をはじめた2016年の春のおわり頃、どこでどうやったら短歌できるのか田舎でとほうにくれていたわたしに、ネットで最初に話しかけてくれた歌人だ。

わたしが短歌ヒヨコでまだおしりに卵の殻をつけて歩いてたぐらいの頃に、短歌のお兄さん(体操のお兄さん的な…)と呼んで平和園にひとり出かけてはちゃーはんを食べながら相談していた。

短歌結社の話など、わたしにははるか雲の上の出来事のように、ほえーそうなんですか、と聞いていたけど、のちにちゃありぃさんと同じ加藤治郎先生の短歌のドア講座にも通い始めて(早起きできず半年しか続けられなかった)、さらにのちに、同じ短歌結社の別の選歌欄に所属することになる(このブログを始めたころにも書いていたかな??)

 

一気読みの途中で付箋をはりながら思ったのは、この歌集は読む人によって付箋の位置がぜんぜん違ったりしそうだなぁ、ということだった。

わたしが付箋をはったところは、もう、びらっびらなのでぜんぶは列挙しないのだけれど、わたしの好きは誰かの好きとは違うから、そういうことなんだと思う。

 

歌の良さ、って、なんだろうなぁ。

歌会などの評で、「うっわ、好きだわ、これー」では良さを伝えるのには適切でないのかも知れないけれど、この歌は推したいんだよなああ、みたいな気持ちが押し寄せてくる感じ。そういう歌が多いと付箋でびらっびらになるのかなぁ、と考えたりもした。

 

・・・・・・

実は、何時間かかけて、いろいろ書いてみたのだけど、どうにもまとまりませんでした。(一番あかんパターンや…)

 

 

①初句から結句まで一息で読ませてしまうのに様子が思い浮かぶ勢いが凄い歌。

(いろいろ分類していたら、ザ・勢い!という歌が多かった、これが一気読みにつながったか??)

 

『平和園に帰ろうよ』「汚れた天使」から

一万円ですかと弱った声を出す運転手と聞くハザードの音

 

「虎と目が合う」から

抜かれた舌が一度おおきく弾むのを待ってる閻魔様とスタッフ

 

「愛欲は死ね」から

手羽先の食べかたみとりゃあこうやって持ってくわえて引き抜くんだわ

(これ!!!!なんて小気味いいんだろう!!!)

 

 

②「死」について、たびたび登場する。

タイトルの平和園、死んだように生きてるわたしには生の実感あふれる場所と感じるけど、死はすぐそばにある、ということなのかな。死を求めるわけじゃなく、そこに自然とあるもの、というか。もっと言うと、死というより、死にまつわるアイテムが多彩というのも感じる。棺、喪主、読経、天国の祭りなどなど。

 

「ホルモン」から

雨の音をアプリで買って聴いている晴れの日こんな午後に死にたい

 

「ファイティングポーズ」から

小走りでさっき「やぁっ」って通過したあれが死神だったらしいよ

 

「飛んでくる石」から

死んでいるぼくのからだをゆびさして「あれが僕です」と受付で言う

 

いくら死を詠んでも、死にたがりメンヘラ短歌に1ミリもなっていかないのは、やはりオカルト歌人の力量なのかなあ(感嘆)。

 

③詩的な部分にふれるよろこび

わたしは子供の頃から授業などで詩の朗読をすることがとにかく苦手で、「もっと感情を出して!」とか教師に言われるたび半泣きで怒り狂ってたんだけど、その反動から詩が非常に苦手になり、短歌をはじめたけれど詩的な表現から離れた位置にひっそり身をひそめるように、詩的とは全然いえないタイプの短歌ばかり作っている(これは短歌をはじめて気づいたコンプレックスで、いま初めて言った、気がする)。

 

この歌集のきもちいいところは、日常をがつんがつん迫力ある表現で詠んでいて、アナーキーな感じや時に暴力的な空気もあふれさせているのに(そういう歌にわたしの付箋はたくさんついた)、にやにや油断して読んでると、ふわっと詩的な空気を運んできたりする。

それなのに、わたしの苦手だった詩とは違う味がして、いやな感じがしなくて、むしろ、自分の好きな詩的レベルで短歌をやったらええんやでって言われてるような、地獄に仏みたいな気分に勝手になってしまったよ。

 

「むしゃむしゃぺっぺ」から

柔道の受け身練習目を閉じて音だけ聞いていたら海です

 

「愛欲は死ね」から

持ちあげたグラスの底におしぼりの袋がついてる愛欲は死ね

(愛欲は死ねって凄いキラーフレーズだなぁ)

 

「虎と目が合う」

母親のとても小さなスリッパを履いてそのまま海に来ている

 

④なんかわかる、そうそうそう、な歌。これも付箋多かった。

 

「夜のデニーズ」から

大雨のなかを力士が自転車で走る全員メガネかけてる

(眼鏡のお相撲さん!!!!そうそうそう!すぐに映像が脳内に浮かぶ)

 

「猪木のビンタ」から

試合中ブラ引っ張って審判に何やら喚きまくるシャラポワ

(そうそうそう!ヒンギスでもヴィーナスでもダメでここはシャラポワ!って妙に納得した)

 

・・・・・・

 

まとめるつもりがまとまらなくなって半日経つし、読んでくれる人もしんどなってきたでしょ?そろそろ。長々と個人の感想を読んでくださって、ありがとうございます。

 

 

小坂井さんことちゃありぃさんは、「今会いに行けるアイドル」ならぬ「今会いに行ける歌人(定休日以外)」だと思う。握手券付きCDとか買わなくても、おいしいちゃーはんを注文すれば(お店の混み具合にもよるけど)お話できるよ。

 

歌集を読んで興味をもたれた方は平和園にごはんを食べにゆくといいと思う。わたしの好きなのは、ブッた切らなくてもひとくちではんなり食べられる、小ぶりのぎょーざと、それと、研究してもなかなか自宅で再現できない、しゃきしゃきのモヤシ炒め。ちゃーはんは真っ先に頼んで、ちゃありぃさんが鍋振る動作を眺めてるかな。

 

 

それから、2016年の今頃のわたしに、一冊渡して「あと数十日するとあんたこの歌人と出会うよ、それに自分も短歌やってる、嘘じゃないよ、あ、でも、この本が出る頃には今の本屋辞めてるから自分とこのミセで短歌のフェアはできないよ」って教えてやりたいわー。

 

 

 

 

未来2019年4月号の歌

昨日は恋人氏と急遽、名古屋デートでした。

名古屋市博物館の「国芳から芳年へ」展が週末でおわってしまうので、あわてて見に行きました。博物館の門のところの桜が散るのを眺めたり、血みどろの絵をじっくり堪能したりしてきました。

そのあとは、恋人氏といっしょに平和園へ。誰かに恋人氏のことを紹介するのはちゃありぃさんが初めてのことで、なんて言っていいかわからず「こちら、〇〇ちゃんです」っていう紹介のしかたになってしまいました。恋人氏は「いつもお世話になってますー」とか言ってくれてたような。てへへへ、へ。

 

平和園は、こどものころに同じくらいの年の姉妹がいて家族ぐるみで親しくてよく通った町の中華やさんを思い出す。もうずぅっと昔につぶれてなくなっちゃったんだけど、そこでもやっぱりちゃーはんとから揚げを食べてたな。先週、東海地方で夕方やってる情報番組に平和園がでてきた時から味噌らーめんを食べる舌になってたのに、やっぱり反射的に「ちゃーはん!」ってなっちゃったな。恋人氏は食が細い人なんだけど、いつもより食べてたし、帰り道でもぎょーざ美味しかったなあ~ってにこにこして言ってた。

ちゃありぃさんに歌集の話やテレビ取材のときの話を聞いてびっくりしたり、短歌ノートを見てすごいなあーって感激したりしながら、おいしい料理を食べて、平和園はデートで行っても歌友と行っても、にこにこしながら帰れる場所。ん?平和園に帰るのか、平和園から帰るのか??

 

未来4月号、届いていたので、恋人氏とランチのときに見せたらこんな分厚いのー!?って言ってた。今月は、選歌欄の欄頭ファイブじゃなくて、地方ごとの巻の方に載せてもらっていて、なんというかほっとします。欄頭ファイブだと一か月落ち着かないので、なんというか、その、地味にやっていきたいです。

 

未来4月号の歌は大晦日あたりから新年のころですね。

 

今月も、これは余計な数あわせだなーと自覚していた一首は落としてもらってありました。最初から少ない数の歌で送ったら、載るのはそのうちわずかでスカスカになりそう、、、と思って毎月十首出してしまいます。そこらへんが自分で加減できるようになるとかっこいいですなあー。

 

---------------

 

未来4月号の歌  森緑

 

二億回再生されたという歌を初めて聴いている大晦日

 

忘れ物しているようで怖いまま新年が向こうから駆けて来る

 

手のひらから南天の実をこぼしつつ元旦をゆく郵便受けまで

 

お揃いの上達守りを見せ合って白河通りを並んで歩く

 

水鳥を眺めておればゴイサギの五位の由来を聞かせてくれる

 

丸善に『檸檬』平積みされており書店員たりし日を思い出す

 

二条寺町三月書房はその先に今日は日没サスペンデッド

 

特急が名張を越える辺りからすんと戻ってゆく日常へ

 

夕暮れの闇へと向かってゆく速さ車窓に映る瞼むくんで

 

---------------

 

森緑で出したものはこれが最後、ラストもりみど。生身は昔からもりみどなので、特にしんみりもしてませんが、ちょっとわくわく感あります。

 

歌会やTwitterなど、もう他では変身完了しておりますが、未来では来月号から

森田しなのになります。

 

これからも、よろしくお願いします。

 

未来2019年3月号の歌

右の腰から脇腹がひどく痛くて、腰痛かと整形外科に行った時、「内科っぽい?」って聞いたら「それは内科で診てもらわんとわからんけどな」って言われたのに、「内科に、絶対、行け!行、け、よ!!!」って言われなかったことを言い訳にして内科を受診しなかったわけだけど、やっぱり、内科案件だったぽい。

 

半月悲鳴をあげながら寝たきりだったこと、痛み方、10の痛みにロキソニン飲んでも痛みは10のままできかなかったこと、ある日じわっとよくなってあの痛みが嘘のようにケロリとおさまったこと、などなど伝えたら、それは石だったかもな、とのことでした。

 

今度また同じ痛みがきたら救急車を呼ぶか消化器内科に行くように言われて、あと、坐薬の痛み止めも出してもらった。

 

ギャーーーってわめきながら痛くて泣きながら寝たきりで寝返りも打てなかったのに、急によくなったのは、石が出ていってくれたということでしょうか。。。なにかしらの呪いかも知れない、と本気で考え始めていたのですが。。。よくわかりません。

 

二月は寝たきりでのたうちまわっていたので、歌会にも行けず、会いたい人たちにも会えず、しょんぼりでした。短歌脳は、痛みでまったくはたらいてませんでした。

 

痛みがおちつき、仕事もなんとかこなして落ち着いたら、「未来3月号」が届きました。最高のタイミングです。ありがとうございます。

 

久しぶりに十首、夏韻集の前のほうで載せてもらってます。

 

わたしのつくる歌がちゃんと短歌になってるのか、まだまだおっかなびっくりでやっているところはあるし、自分の歌が好きと言えないのに楽しいからというだけで誌面に載せてもらっててええのかなあって思うこともあるし、自分の歌の良いところはまだ全然わからないので、はじめの方に載せてもらってあると、なんというか、どうしよう、、、と落ち着かない気持ちがしてしまいます。

 

こういう時はゆってぃになったつもりで、「ちっちゃいことは、気にすんな、それ、ワカチコワカチコ~」って独りで言ってみたりします。たいがいのことは、ワカチコワカチコ~で乗り切れてるから、お奨めです。

(例:美容液と歯磨き粉まちがえてぬりこんじゃった時とか。。。)

 

---------------------------

未来3月号の歌   森緑(ちなみに、来月号まで森緑です)

 

甲斐性のある女性にはよろめくと恋人は言う師走のはじめ

 

魔女を焼き宝を奪い裕福に暮らせてしまうグレーテルなら

 

わたくしは暫定一位の恋人だ来月のことは約束しない

 

特急で仕上げる仕事がふいに来てパジャマのままで開くパソコン

 

目頭をぎゅっとつまめば涙とは違うにおいの重い液体

 

お隣の柚子の木に登る猿二頭母と見ており寒い窓辺に

 

猿避けの空砲が鳴りゆっくりと帰るお尻の鮮やかな赤

 

空砲は耳の奥から離れない急かされながら帳簿をつける

 

さみしいはさむいに似てる白菜のほのかな甘さに満たされる夜

 

土の上に白く残れるさざんかは散りたる後もひかり集めて

 

---------------------------

 

大辻せんせいや先輩方や短歌でつながったたくさんの人たちからたっくさん吸収しながら、もっと精進します。

 

未来2019年2月号の歌

こわいこわいと言っていた新年も来てしまい、恋人ちゃんと初詣に行ったり、短歌な新年会でたのしく過ごしたり、わちゃわちゃだらだらしてるうちに、もう、もう、二月ですか!!!

 

はぁ~、、、こわいこわい。

 

そんな2月1日、「未来」2月号が手元に届きました。

 

Twitterを通じて交流のある掛水ヱイさんが夏韻集からみらいプラザに出ています。うれしいし、励みになります。どうかそちらお読みください。

 

今月号は別れ話が深刻化したときに詠んだものです。

よかったらお読みください。。。

 

--------------------

未来2019年2月号のうた     森緑

 

親指のペディキュアだけに夏の海のこしたまんまタイツを履いて

 

どちらから切り出したのか三度目の別れ話は日付を越える

 

君のため身を引くなんて美しく危険な言葉はしまっておいて

 

泣いて泣いて干からびて水を飲み干しぬそこらにあった丼一杯

 

覚悟して魔女をいてまうヘンゼルとグレーテルにはなれないふたり

 

揺れてのちテレビの地震速報に重なるように連絡がくる

 

心配でメールし合えば諍いはしゅるると消えて灯る街灯

 

肌に添うヒートテックよ寒がりの恋人をただ温めてくれ

 

結論を出せないままで舐めている千歳飴ってこんなに長い

--------------------

 

「未来」掲載で、森田しなのになるのは、もうちょっと先(5月号から)の予定です。

 

幸薄い本名のまま生きていく半分だけはしなのになって/森田しなの

 

 

森田しなの になりました

何の気なしに姓名判断のサイトで試したら、森緑はめちゃくちゃ悪かったので、何度も試して運気の良い筆名をつけることにしました。


今日から、森田しなの になりました。
今までのもりみどでも、しなのでも、森さんでも、森田さんでも、呼ばれたら振り向くと思います。


未来の次の月詠から森田しなので提出するので、五月号から変わりますが、それまでは森緑で掲載されます。

歌会やでかけていった先では、森田しなのと名乗りますが、同一人物です。

これからも、よろしくお願いします。


歌も進化したいですなあ。

未来2019年1月号の歌

 

2018年おおみそかの朝です。

ここ数日、新年が来るのがとてもこわくて、何とか阻止できないかと考えていましたが、どうにもなりませんでした。

漠然とこわいのです、新年。こんな気持ちは初めてです。

 

今年のうちに、新年2019年1月号の「未來」を届けていただきました。

この一年、あまりがんばってなくて成長がなかった自分を顧みつつ、じっくり読んでいます。

短歌をいちから(短歌は五七五ではじまり七七でおわる、というところから)始めて、今ちょうど二年と半年ぐらいでしょうか。いつまでも、初心者を言い訳にしているのも美的ではないとおもうのですけど、やっぱりまだまだビギナーです。でも、誰かの評価を気にせずたのしんでやっていられるので、とても恵まれた環境にいるのかも知れません。

 

2019年1月号の歌。

新年の幕開けにぜんぜんふさわしくない一連でした。

月詠出すとき何月号に載るか考えようぜ、、、とおもいましたが、一切のきらきら感を廃した日常ブツ切り短歌なところは変えようもない今の自分の詠み方なのかな、と、この一年の歌を振り返ったり振り返らなかったり。

 

ガツガツ、ゴリゴリ、修行したい気持ちもあるけれど、自分には自分のペースがあるのだとあらためて知った一年だったので、2019年もひきつづき、おっとりゆるゆる短歌をしていると思います。

 

----------------------------------------

未來 2019年1月号   森緑

壁沿いの際からたまってゆくほこり床の白さに濃淡はあり

パソコンの裏だけほこりを拭いたあとあぐらをかいて何にもしない

台風でふたつに折れた樫の木の断面を二階から見下ろして

月曜の朝の診察を待つ人はテレビの方を向いた静物

表情が穏やかだからいいでしょうと主治医はうんうんうなずきながら

採血の看護師さんが声を上げわたしの白い腕をうらやむ

静脈がみつからなくて年配の看護師さんが早足で来る

病院の待合にしか売ってないジャワティーをいつか欲しいだけ買う

物欲と書かんとするも俗物と書いてしまってそのままになる

----------------------------------------