恋を語る歌人になれなくて

2016,5月 LINEで送信したメッセージを「それは短歌だよ」と教えてもらったことをきっかけに、短歌な世界に引き込まれて行く。おそーるおそーるな一歩一歩の記録。

未来2022年7月号の歌

六月、はじめての欠詠をしてしまった……と悶々としてるときに「未来」7月号届きました。

いつもたくさんの人の手でつくられて、車の音もしない山奥のうちにまできちんと届けてくださって、本当にありがとうございます。

 

わたしの作りたいような歌と、ずれを感じていて、たまーに、おっ、こういうのが詠みたいんだよね、っていうのを作れると、やっぱり短歌が好きだし楽しいなって思う。

 

春先に読んだ歌です。

よかったら読んでください。

 

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未来7月号  森田しなの

 

秘密にはしていないのにあなたには短歌のことを話さずにいる

こころはずむ約束ひとつないままに頭痛が春のさきぶれとなる

尾木ママの語尾なまぬるく勧めおり八十五まで入れる保険

みずからの頼んだカキフライなのに兄は四個も譲ってくれる

老いている母より速く老いてゆくわたしのことは兄に任せた

断髪式前の親方みておればスーツに髷はおしゃれと思う

ワクチンは共通体験 美容師と話し始めるきっかけになる

春らしく尼削ぎにすれば春風にやわらかな髪はもてあそばれる

はじめての老眼鏡を注文し川の向こうの桜をみてた

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ところで未来はいつも九首掲載。一首はつまらない歌だったり、数合わせに入れたみたいな歌だったりするから落としてもらった理由がすぐわかります。

かりんに入ってみて、結社によって掲載される数も違ってて、そこがまた興味深いし、落としてもらった歌の未熟な点やよくない点を考えるのも勉強になります。

 

あーーーーーーー。

昨日、七夕だったーーーーーー。

願いごといっぱいしたかったのにぃぃーーー。

 

天文の部活(地学部)だったけど、星のこと、詳しくない。。。

未来2022年6月号の歌

「未来」6月号が「かりん」6月号の翌日に届きました。

いつも「未来」誌をつくって送っての膨大な作業をおこなってくださっている方々に感謝しております。いつもありがとうございます。

 

さてさて。

掛け持ち入会をしてみて気づいたのですが、未来は三か月後に、かりんは二か月後に掲載されるのですね。

あと、未来もかりんも原稿用紙は同じタイプですが、未来は歌をびっしり書いて10首で2枚を糊で止めるきまりで、かりんは歌との間に行あけをしながら書いていき最後はホチキスでぱちん!だったり細かい違いがあるので、きちんと間違えなく書く清書はどきどきして楽しいです。

 

未来6月号の歌はほんっっとにカラッカラに枯れてて歌ができなくて、朝起きていま見てきた夢からそのまま歌にしました。

 

良い出来ではないと思います。とりあえず欠詠回避したかった。

でも今月、とうとう5年間お世話になった未来で欠詠してしまいました。体調がよくなくて、一日のうち起きて意識がある時間が4、5時間ぐらいだったのが理由ですが、言い訳のようです。

 

やはり、複数の結社を掛け持ちして自分にできる最善の月詠を送り続けるのは、やってみて日が浅いのですが、みずからが課すプレッシャーに押しつぶされそうになるし、歌をたくさん作ることも難しいことだし、わたしは(特にわたしは不器用すぎるから)おすすめできないなぁ、と思っています。

 

未来6月号に掲載された歌、よかったらお読みください。

 

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美しい君  森田しなの

別れより四半世紀を経たのちも夢にあらわる金髪の君

今朝君はやくざの頭(かしら) わたしたち踊り子をかばい死にゆくを見る

ツイートに生きてる君を確かめる夢は凶兆ではないらしい

売れっ子の君に会いには行けなくてスマホで動画をみながら眠る

この君に還暦迫るとおもう時わが審美眼をおおいに誇る

推しという言葉が似合う生涯の神推しとして揺るがないほど

君からのひと月遅れの返信を受け取る今日は大安である

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うーん。

わたしの歌は一読わかりやすいと言われることがよくあるし、わたしも良くも悪くもそう思うんです。深みがないというか。思わせぶりなフレーズとか、詩的飛躍とかしないし。

ほかの人の歌でも、わかりにくくても凄くいい歌もあるし(好き)、さっぱりお手上げでどう取り組んでいいかわからない歌もある(苦手)し、いいの基準がわからなくてぐるぐるしてしまう。

周りの人が「あの歌集いいよねー」と言ってても、歌壇?で評価されてたりしても、わたしにはバラバラな言葉を定型にぶちこんでインパクトつけて読者に投げ出してるようにしか思えなくて読みながらイラッとして一気に読めなかったり。・・・わたしの読み方が下手なのかも知れません。歌の好き嫌いがきっぱりし過ぎているのも問題かも。

 

昔、タモリさんが司会してたTV番組で「ボキャブラ天国」だったと思うんですけど、ギャグやダジャレを「インパクト」「馬鹿」「知的」(だったと思う)を評価基準に「馬鹿パク(馬鹿っぽいけどインパクトあり)」とか「インパク知(インパクトあって知的)」とかタモリさんが判定してたのを最近、ふいに思い出して、これ、「馬鹿」はさすがにあかん気がするけどいくつかの基準の組み合わせで歌も「インパク詩」とか「共パク(共感あってインパクトもある)」とか表わせそうじゃないかな、自分のなかでだけこっそり(こっそり??)使ってみようかなとか思っています。

 

はじめての掲載 2022年6月号「かりん」の歌

未来夏韻集に所属したまま、かりんと掛け持ち入会して以降、きもちはぽわんぽわんしていました。

同時に、両方の結社に自己最良の月詠を出していくことを想像しては、とにかくいっぱい歌をつくらないといけないという不安で押しつぶされそうになって、わたしったらなんでこんな大変なことに自ら突っ込んでいったんだろう??とも思っていました。

 

もやんもやーん、と不安を抱えながらも、わくわくする気持ちもつよくて、入会即届けていただけた「かりん」4月号以降、未来と比べるとまだ存じ上げている方が少ない分、かえってたくさんの方の歌をじっくり読むことができたように思います。

 

今月、とうとう初めての月詠が掲載される6月号が届きました。

一冊の本としてつくって送ってくださっている皆様、ありがとうございます。

 

かりんは、入会するとⅢ欄からスタートすることになっていて、たくさん掲載される方でも7首です。

(結社によって異なるけれど、未来夏韻集はたいてい9首か10首掲載)

はじめての月詠は、かりんに入会する気持ちを詠みました。

10首送って6首採用してもらっていました。

こういう厳しい選のなかで自分でもっと考えて磨いていけるのかな、ゾクゾク…とよろこびを感じます。

 

はじめての歌はこちらです。

このブログは、始めた時から短歌について無知だったわたしの成長(と停滞と苦悩)の記録なので、いままでの未来の掲載歌とおなじくかりんの歌も記録していこうと思っています。

よかったら、ひげを剃る間にでも、お読みください。

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「かりん」2022年6月号 Ⅲ欄

ふかくふかく迷えば生き霊とびだして抜け殻になる体質である

入会を申し込むため吉日をGoogle検索に相談したり

不成就日などというものあることを検索に知る あぶない、今日だ

大安に入会届を投函し空耳かりーんと朗らかに鳴る

新しい「かりん」が届き五年間何度も開きし見本誌を仕舞う

山盛りのレモンを輪切りにした指は図書館に来ても香りつづけて

 森田しなの

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もっと、もっともっとこぉいう感じに詠みたいのに、、、という方向とそこに至らない力不足で、もどかしいですが、がんばります。

 

未来2022年5月号のうた

ああぁれえぇ~~~~。

ブログ更新するのも忘れるぐらい、心がてんやわんやしています。仕事の依頼も断り続けています。

 

たましいが、ふわんふわんと抜けて行ったりしているようです。


この前、のっていた車が急ブレーキで前頭部を強打したせいだけではなく、常用してるクスリの影響かも知れないのですが、最近は朝起きても即、自分が何者で、ここは安いビジネスホテルの一室でなく自室で、何日の何曜日かも、ぶれぶれで思い出せない。

 

最近、死期が近いような気もして、ぼんやりします。

いや、死にたいとか、そういうわけではないんです、死が近いような、ひとつひとつの物事がぼんやりしているようで、くっきりしてるようで、たとえばお店のタルタルソースがおいしくて、いつまでもくちの中でむにゃむにゃ感じていたいようなこれで最後みたいな愛着を感じたり、そういうのです。

 

 

短歌は、結社をかけもちしたくせに、思うように作れてません。月詠は出しています。

本当のこころは、かけもちがしたかったのではないのだと思います。

寡作のわたしに続くわけがないのは、最初からわかっていました。

 

自分が詠みたい、読みたい歌とはなんだろうか??


公募や投稿などの短歌に、選者の好みをかんがえて歌をつくる人もいるとききます。選者に寄せていける器用な人なのでしょうか。その結果、選ばれてみとめられることを目指してるのでしょうか。わかりません。


短歌で誰かに認められるためにやってるわけではない。だれにも見せないで書きためても、わたしは短歌を手放さない。

最近のぼんやりした頭でかんがえだすと、また、たましいがふわんふわんとさまよいだしてしまうのだった。

 

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生涯未婚  森田しなの

寒風になぶられながら感傷と無縁の涙を拭って過ごす

どうしてか懐かしい味モリアーティ教授も愛ししキドニーパイは

いつからか覚悟していたわたしより先に姪っ子が結婚する日

祝福を焦りが塗り潰してゆく洗っても洗っても汚ない手

五十路より先の愛恋あるものを生涯未婚にカウントされる

男しか愛さないとは決められずがさっと畳む昨日(きぞ)の朝刊

棘もてば残酷なまでに美しくあれと呪いぬ真夜のサボテン

神様をそそのかしてもはじめから創り変えたいものがあるから

あたらしい扉をみつけてしまうから人はここから去るのでしょうね

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あっ、えっと、作者はまだあと少し五十路には余裕がありますっ。。。

 

後半の工房月旦のコーナーで、未来2月号掲載のなかから一首、桜井夕也さんに引いて評していただいています。ありがたいことです。

わたしは詩と自分の接点の薄さにいつも思い悩んでいるので、哲学や詩やいろんな世界の住人でいらっしゃる桜井さんに引いてもらえたことも、とてもうれしかったです。

工房月旦は、憧れてる先輩方からのエールと勝手に思って読んでいます。励みになるからです。

こちらの歌です。

 

国民に冬眠がゆるされる国をめざしたいまずは冬眠したい/森田しなの

 

未来2022年4月号のうた「鳥を待つのみ」

かりん4月号が届いて、ほわほわ。。。してたら未来4月号届きました。

いつも、ありがとうございます。

 

内容みっちりの結社誌二冊をがっつり読んで、月詠合計20首出そうとしてるあほの子は、どこのどいつだぁ~い??・・・アタシだよ!!(にしおかすみこだよ!!)って、まあ当然なりますわね。

 

今月号みて、ああああーーー運転中、スズメの大群に体当たりされて何羽か殺しちゃった時の連作ぅ、、、と思い出して気持ち悪くなりました。なんで、月詠に残したんだよぅ。思い出すじゃないか。。。

 

冬はたいがい、仕事ない時は居間のソファで本を読みながら野鳥をみています。

そういえば、わたしの歌はたいてい、現実のわたしとそんなに乖離していない、一皮ぺろんとめくればわたしと地続きなんですよね。ぺろん。

 

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鳥を待つのみ   森田しなの

風のなか裸木を抱くようにして自作のえさ場を枝に結わえる

庭にくる鳥を見たくてつやつやの野いちごを採る手は傷だらけ

南天は鳥のごちそうその葉にはアルカロイドのふくまれるらし

冬の日は鳥を待つのみさみどりの窓辺のソファに仰向けになり

ほんのすこし目を離してるうちにああ、実だけなくなり鳥を見逃す

唐突にフロントガラスに影が差す雀の群れに体当たりされ

ヒッチコック!と咄嗟に叫ぶあの映画のラストシーンが思い出せない

バンパーに一羽の死せる雀あり水かきを開き標本のよう

骸から眼を離せない魂を失くしたきれいなものに惹かれる

はからずも鳥を殺したそののちも南天をあつめ鳥を待ってる

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いつも一首落としてもらってあるのですが、今回は久しぶりに十首掲載でした。

 

そして、今月号から時評のページを山川築さんが担当されるので、自分の歌もそこそこにすぐ読みました。

結社誌を読む楽しみって、顔見知りの人の歌を探して読むことや、大多数の知らない人の歌から推しをみつけることもあるけど、面白い連載が読めることだと思うんですね。

山川さんはわたしと同じ三重県在住で、都会みたいに短歌の本がほいほい手に入る環境でもないし、時評を書くことも大変だと想像するのですが、こころから応援しています。

 

ついに、かりんに入会しました

わたしがかりんの子になりたいと思ってから、かなり長い年月が経ちます。

まだまだ勉強中なので、かりんの歌の特色だとか、すべて理解できて入会を決めたのではなく、長年の憧れがおさえきれなくなったのが理由です。

しかも、漠然とした憧れです。

 

五年前のお正月に「かりん 2016年11月号」を見本誌としていただきました。

それと同時期に、未来夏韻集の大辻先生の歌会に参加させてもらいました。大辻先生はわたしの高校のかなり上の先輩でした。三重県の(すごい田舎)にいても短歌はできます、とお声掛けいただいたこと、歌に対して熱く、初心者にもわかるように文法を教えてくださる大辻先生のもとで短歌を勉強しよう、と決めて未来に入会しました。

 

未来に入会した後も、かりんの見本誌を何度も読み返して、のびのびとゆったり詠まれた歌が多いなあとしみじみしたり、入会届(すでに旧式になっていることをこの度公式サイトで知った…)を開いては丁寧にしまったり、どこかで引っ掛かっていました。

 

未来で嫌なことがあり(平たく言ってどうしてわたしに?と思うような嫌がらせがあり今でもモヤッています)、未来を辞めようかと思うこともありました。

当時はいざとなったらかりんへ、という思いで、身近なかりん会員の方に相談したりしていましたが、わたしが未来から逃げるのは間違ってると思ったので、そうやすやすとは負けませんよ?という反逆精神で未来にしがみついてきました。

 

やはり、かりんの子になりたい、と思った最大のきっかけは、2021年夏の全国大会がZOOMで外部の人にも公開されていて、やったー!ラッキー!東京まで行けない田舎民でも参加できる!!!と心待ちにして拝見したことでした。

会員のみなさんの親密であたたかい雰囲気。若手の方がはきはきと楽しそうにされていて素敵でした。そして馬場あき子先生の奥で遠慮容赦なく鳴き叫ぶ蝉。憧れの世界を垣間見た気持ちがしました。

 

2022年2月、かりんへの憧れを何気なく話したら、掛け持ちしちゃいなYO!と強くすすめられ、一か月迷いました。

わたしのように未来の月詠だけでひーひーしてるのに掛け持ちだなんて、今までのままではダメ、さらに高いクオリティで二倍作れなくては意味がない、できるのか??ほんとにできるのか??と自分を追い込んで悩む日々でしたが、大辻先生にお手紙で相談し、お返事をいただいて、おもいきってかりんに飛び込むことに決めました。

 

未来夏韻集の仲良くしてくれる先輩たちと離れたくなくて泣き言をいったら、ある人はクールに、環境が変わっても短歌をつくることは変わらないから別にどこに属しても変わらない、と言ってくれて、またある人はとても親身に、歌をつづけている限りはどこかで縁がつながっているから、とありがたい言葉をかけてくれました。

 

わたしは不器用で寡作で自分を追い詰めがちな性分なので、掛け持ちが生涯つづくとも思えません。

いつか、夏韻集の子でなくなってかりんの子になっても、ちゃんとかりんの子になれなくて夏韻集の子に戻っても、いまかりんに飛び込む決断をしてよかった、と思います。

 

短歌をはじめて最初の二年くらいの「短歌、たのしい!!」って言い続けてた頃のきもちが、ふつふつと戻ってきてるのです。

新しい春はバタバタしていますが、短歌たのしい!春になりそうです。

 

それでは、これからも転がる石のように落ち着かないわたしを、どうぞよろしくお願いします。

(4月から月詠を送る予定です。6月号から掲載、なのかな?)

 

 

未来2022年3月号の歌

 

コロナワクチン3回目接種、ありがとうございます、ありがとうございます。

 

前回8月はまっっったく副反応がなかったのでよゆうで行ったところ、ピューーーッと熱が上がり腕がイターイになりました。。。

何日経ってもおさまってくれません。しんどい。。。

 

未来の今月分の月詠は先に出していたので、だいじょうぶでした。

不器用なのに、そういうところ先回りでがんばれるところは意外な長所でしょうか。

 

それにしても、アツイ。。。冷えピタが効かない、、、

 

今月の「未来3月号」も3/7といつもより遅めでしたが、無事届きました。

ありがとうございます。

 

今月の歌はかなりおもいつめていた時の歌でしょうか。

 

ぼつにしてもらっていた一首は、おもてに出さない方が良い歌だったかも知れん、とのちのち考えていたので、きっとわたしの考えることは師匠にはお見通しなのかも知れないなあ、など信頼を寄せる思いなのでした

 

よろしければごらんください。

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未来2022年3月号のうた  森田しなの


ゆめのなかわたしは壊れたロボットで危険だからと棄てられていた

唐突にリロードされる地に伏して蹴られ罵られている記憶

失った(奪われた)ことば喉からは乾いた空気だけがこぼれて

だれからも目を向けられず背中にはやわらかな苔の生えはじめおり

にんげんのわたしになって泣きながら目覚めたる朝しずかなる雨

濡れ髪を乾かしながら思い出す揺らめいていたあなたの髪を

おもいでのあなたはいつも逆光で泣き顔だったかも知れなくて

怒りでも悲しみでもないこの痛みいつかは土に還るのでしょう

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今月は未来作品批評会がZOOMで開催されます。

ふだんお会いできない方ともお会いできるのでは、と楽しみにしています。

そのときは、どうぞよろしくお願いします。

 

未来2022年2月号の歌「ゾンビベストテン」

今月に入ったとたん、いつも買い物に行く駐車場でもらい事故をしてしまいました。

特に愛着のない車だけど、相手(というか相手側のクソヤンキーこと保険屋)とのやり取りに疲弊してしまい、鬱々と、何もしたくない気分になっています。。。

 

高齢者の軽トラがバックで向かってきたのを視認したのだけど、こちらはスペース的に避けようがなく、危ない、危ない、危ない、来るな、来るな、来るな、ああああーーーーっと思ってるうちに、ガチャン、でした。

パニックになり、クラクションを鳴らすなんて思いつきもしなかったです。

もしクラクションに過剰反応して相手がオラついてきたら、こっちが先に手を出してしまいそうですし。それは絶対、避けたいですし。

 

最高に感じの悪いクソヤンキーこと保険屋でした。

わたしが完全に停止していたと言っても、は?何秒ですかー?みたいな子供の喧嘩かよって舐め腐った対応しやがりました。

 

二度とあいつの顔みたくないから絶対、事故したくない、それも農協の保険入ってるような田舎の軽トラとか絶対当てたくないわ、マジで、と心に固く誓いました。

 

そうですね。

このやさぐれてる気持ちを今月分の月詠にぶつけてもいいのかも知れないけれど、本当に何にも手をつけたくないし、車で出かけるのも気が進まない気分。

他人にかき乱されるのは、本当に、イヤ。

(だから生涯独身なんですね、わかります、わかります、わかります、、、)

 

こちら、冬が来る頃につくった連作だったと思います。

よかったらお読みください。

 

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ゾンビベストテン  森田しなの

 

筆名を特急しなのに変えようか 今頃はもう冷える松本

あの頃の松本はもう無いのだと何度もこころをねじ伏せてやる

生活のようでたしかに旅だった 高山植物の絵はがきの束

痛みから逃れたくって考えるゾンビ映画のベスト十作

霜月のテニスコートに落ちる汗ポニーテールの先まで濡れて

ぎこちなくクラスに馴染んでゆくわれに真っ直ぐ向けられる誉め言葉

今宵ゆめに現れそうなバナナ虫調べんと思い調べずに過ぐ

テレビから「女性の貧困問題」と聞こえるむぐっとうつ伏せになる

国民に冬眠がゆるされる国をめざしたいまずは冬眠したい

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卒業したばっかりの頃は、松本に帰りたいってよく泣いたなあ。。。

 

今は帰りたい場所が、名古屋と松本に分散されてる感じですね。

コロナが落ち着いたら、どっちも帰りたいな。

 

未来2022年1月号のうた

わあ、1月号が年内に届けていただけましたよ。いつも作ってくださる方、届けてくださる方、いろいろの事務的なことをしてくださる方、みなさまに感謝しながらの開封です。今月も、ありがとうございます!

 

この頃は、月詠もぱっとしません。

 

未来賞の結果も、Twitterで先に流れてきていたからわたしはダメだったんだろうなと思いながら開くとやっぱりで、応募した、という痕跡もなく、何のフィードバックも得られないまま終わりました。

もちろん、選考会の様子などは勉強になるのですが、去年の選考会みたいに「エモかネタか生きづらさ」みたいな分類をされてしまうと困ってしまいます。今年はエモでもネタでも生きづらさでもないように、田舎の庭をひたすら淡々と詠んだ連作にしたら、これまたダメなわけですから。まあ、それはそれで誰が読みたいの?ってなるわけですが。

 

ダメだったものをどうダメなのか解る機会がほしいな、って前から思っていて。

それなら練り直して月詠にするのがいいのかな、とか、誰か信頼できる人に読んで批評をしてもらいたいな、って思ったり。

うーん。ダメだからダメなんだろうけど。

 

1月号の掲載分、置いときます。

(ダメすぎてもう、なげやり!)

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いまさらだ  森田しなの

敬老の日に贈られた年寄りの好きそうな菓子をわたしが食べる

兄とふたりランチしながら語り合ういつかおこなう親の葬式

墓じまい大賛成と合意してあわびの刺身をこきこきと噛む

助手席の窓から見れば土砂降りのなか斎場は黒を濃くして

いまさらだ、独りはいやだと気づいてもみんなつがいで、もういまさらだ

ときどきはアーロンのことを考える心ごと支えられていた椅子

流れには逆らってゆく ワクチンの副反応で元気いっぱい

スパダリという言葉ありこのごろは聞くことをせず検索に知る

十月の半ばスイカはスーパーにこま切れにされ売られておりぬ

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最近、繊細さの日本選手権大会というか、繊細さをどこまで突き詰められるか、みたいな歌をみるとドスコーイ!!という気持ちになるし、Twitterで流れてくるポップミュージックみたいなのも違和感が凄くあるので、わたしは違う方向なんだと思う。

 

中日歌壇小島ゆかりさん選2021年間最優秀賞いただきました

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中日歌壇小島ゆかりさん選で2021年間最優秀賞いただきました

今年は歌の詠めないしんどい一年でした。

未来に送る月詠に四苦八苦して、中日歌壇には3回しか出せなかったと思います。

 

それでも、一年の最後に、憧れの!小島ゆかりさんからおそれおおいような賞をいただくことができました。

 

中日歌壇小島ゆかりさん選 2021年間最優秀賞

胸の前にポインセチアを抱え来る人はだれかのための燭台

森田しなの

 

小島ゆかりさん神推しガチ恋勢としては、推し様から思いがけない爆レスきたーーー!!という感じで、新聞社の方からご連絡をいただいたお電話でもはわわはわわhwwという状態であの!憧れの!小島ゆかりさんがですかぁーー??とか絶叫しまくり、三重県から最優秀賞ということで取材をしていただいた時も聞かれるままにあれもこれもしゃべって余計な事まで話し過ぎたのでは、と不安になったり、記事が出るまで眠れない日々でした。

 

詠めない日々がつづいてもどかしい、くやしい気持ちも感じたけれど、短歌のことを考えながら過ごした一年、それでも続けてよいのですよ、と歌の女神さま(小島ゆかりさんをイメージしています…)に言ってもらえたような気がします。

 

もしもの話をしても意味はないかも知れないけれど、もしも五年前、短歌というものの存在を知ったばかりの短歌ヒヨコのわたしが初めて新聞に投稿した時、小島ゆかりさんに選んでもらうことがなかったら、一回の投稿であきらめていたかも知れないし、短歌からもすぅっと遠ざかっていたかも知れない。

 

小島ゆかりさん、本当にありがとうございます。

 

わたしは寡作だし、結社の月詠だけでひーひーしてるので、あまり中日歌壇に送れなくなっていたけど、こんな賞をいただいたらまた小島ゆかりさんに読んでいただきたい気持ちがわいてきたので、来年は月に一度ははがきを送れるようにがんばります。

(おおみそかの決意)

 

 

 

 

 

小島ゆかりさんが好っき!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

未来2021年12月号のうた

あわわあわわしてるうちに、今年も師走。。。

今月も未来12月号、無事届けていただきました。いつも作ってくださる方々、送ってくださる方々、読んでくださる方々に感謝です。ありがとうございます!!

 

今月号、よかったらお読みください。

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眠るたび眠りに喰われてゆくような快感のあり午後中眠る

ゆびさきからこぼれるように薔薇を生むうつつにあふれさせるまぼろし

飲み干したカップの底に珈琲の粉は残りぬ三日月形に

憂鬱を長すぎる髪のせいにして一年ぶりにはさみを入れた

断ち切った黒髪もそりと床にありながなが寝そべる黒猫のよう

道の辺に鉄砲百合の白ひとつ勝手に咲くという美しさ

この夏はひまわりの花を見ていない季節はわたしの外周をゆく

感情の起伏はクスリで抑えられアンダー・コントロールの涙

トライアル・アンド・エラーで生きてゆく難儀なからだを捨てられなくて

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うーん、あんまり良くないな。。。

最近、行き詰ってるんですよね。。。

 

寡作なわたしの佳作入選ふたつ

今年の秋は本居宣長顕彰短歌大会と佐佐木信綱顕彰歌会で佳作をいただきました。

(ということは、うーうー唸って佳作の歌を詠んだのは今のわたしじゃなくて、夏の方のわたしです)

 

本居宣長さんの方は憧れの小島ゆかりさんに会いたくて、入選しなくても応募しておいたら参加できるのでは、と思ってかなりミーハーな気持ちでさら~っと作って出しました。いや、ミーハー心はだいじですよ!

 

わたしが初めて新聞歌壇に投稿をした歌を選んでくださった小島ゆかりさん。

それがきっかけで短歌が親バレして(短歌するぞ、っていうすぐの頃だから特に何もしてなかったけど)、意外と親がよろこんでくれて、無駄飯食らいの厄介者扱いから急に待遇が良くなったので、わたしが短歌してもいい正当な理由ができたかも知れない。

とか言うと、文学や創作にまっすぐな方からは不純だとお叱りを受けそうだけれど…。

 

当日はもう、ソワソワのわくわくで。司会がわが師匠・大辻隆弘先生だったので、安心してしまって緊張せずにすみました。ありがたいことです。

入選とか大それたことは考えず小島ゆかりさんに会いたさでつくったので、あんまりパンチのきいてないさら~っとした歌になりました。小島ゆかりさんからは、コロナという言葉は使っていないけれどあの時詠んだなぁと思うとこれもコロナ詠になる、と評していただきました。

 

本居宣長顕彰短歌大会 小島ゆかり先生選 佳作

ひとりきり何度も深呼吸をする流星群の降りくる夜に/森田しなの

 

そしてそして、表彰式のあと集合写真を撮ってもらったのですが、焼き増ししたのを送ってもらえました。うわーー、一枚の写真の中に小島ゆかりさんと大辻先生が並んでてこれはレア、非常にレアですよ、もちろん宝物にします!!手帳にはさむか、写真たてに飾るか、まだまだ迷い中です。

 

 

さらに今週は、鈴鹿で、佐佐木信綱顕彰歌会に参加してきました。

 

去年は佐佐木幸綱先生選の佳作でしたがコロナが凄かった頃なので参加を辞退したので、今年が初めてでした。今年は佐佐木頼綱先生選の佳作でした。う~ん、毎度毎度の佳作クオリティよ。。。(←もしかして、ここがこれからの課題なんじゃないのかしら)

 

鈴鹿はめちゃくちゃに寒くて、バス停の場所がわからなくて通りすがりの人に教えてもらったら違うバス停だったり、やっと判明したバス停ではバスが定刻より半時間遅れてきたり、近鉄の途中で乗り換えダッシュしたり、ふくらはぎが壊れるーーと思いながら爆走につぐ爆走の一日でした。

 

佐佐木頼綱先生による小中高校生の部の講評がすごくすごーく丁寧だったのに、先に表彰式があったので、親御さんが我が子の勇姿をカメラにおさめたら早々に帰ってしまわれていて、あー歌を詠んだ生徒さんたちに聞かせてあげたかったな、と勝手に思ったり、大人の部の評には時間が足りなかったご様子で凄い駆け足で終わっちゃったのがしみじみと残念なきもちになったりしました。初めて参加しただけでこんなことを言うのもアレだけれど、この大会は児童・生徒さんが短歌に親しむためのものかも知れないな、と思いました。

 

帰りに、石薬師小学校の生徒さんが(佐佐木信綱記念館のとなりにある小学校で、短歌を熱心に勉強されているそうです)挿し木してくれた卯の花の苗と栞をお土産にいただきました。

短歌よりむしろ園芸好きのわたしには何よりの副賞だな~と思いホクホクしながら帰りました。

 

苗はさっそく、鉢植えにしました。やぁ、短歌もいいですが、土いじりはいいですよ。

一鉢からでも、ベランダでも、室内の窓際でも。香りのいいハーブ、各種ミント、ローズマリー、ラベンダーなど育ててストレスを感じる時にさわって香りをかいですっきりしたり。あと、土をさわるのも嫌なことが指先から土に逃げてく気がする。

 

おっと、忘れてました。

佐佐木信綱顕彰歌会 佐佐木頼綱先生選 佳作

子宮なきわれは生みたし薔薇のはな掌(て)をひらくたびほつほつと咲く/森田しなの

 

初句がきつ過ぎるので、選ばれないと思っていました。万人うけしないでしょう。でも気に入っていたのでどこかにこの歌を出してあげたかったのです。

 

今年の秋も選んでくださった選者の先生方、当日現場でお会いできてお声をかけてくださった方々、どうもありがとうございました!!!特に帰り道ずっと同じ方向で、はじめて会った者同士なのにすっかり打ち解けてお話してくださった方、寒くて長い帰り道がとても楽しくなりました、またどこかの短歌な集まりでお会いしましょう!!